アンコールクッキーから農業に転身した『マダムサチコ』の カンボジア日記

カンボジア、世界遺産アンコールワットのある町シェムリアップで、カンボジアの女性たちの雇用の場を作ろうという想いから、2004年にお土産物屋『アンコールクッキー』を創業。12年間にわたり社長として事業を牽引し年商3億円の事業に発展させる。2016年にアンコールクッキー社の体制を変更し、新経営陣に運営を託し、新たな夢へ挑戦中。アンコールクッキーの原材料をカンボジア国内に追い求める中でたくさんの農家の人たちと出逢い、カンボジアの農業がなぜ魅力的な産業になれないのか、なぜ私たちの食を支えてくれている農家の人たちが選択肢のない貧しい生活を強いられるのか、カンボジアの主産業である農業をもうかる産業にできないのかという想いがわいてきて、40ヘクタールの農園をシェムリアップ近郊に所有し、農業の6次化によって出稼ぎにでなくても生まれ育った村で家族と共に暮らせる幸せを実現できる村づくりを目指して奮闘中。シェムリアップ暮らしも早18年目。すっかりカンボジア感覚になっている日本人の目線で、カンボジアからフレッシュな情報とカンボジアの日常をつづるブログ。

2016年09月

ファームに新しい命が誕生しました。

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牛の赤ちゃん
牛は人間と同様に約10ヶ月の妊娠期間を経て子供を出産します。


出産の様子
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お母さんも赤ちゃんも元気で良かった。

生まれたての赤ちゃんは他の牛とは離して木陰で休ませておくらしい。


生後2日目。ひたすら眠る赤ちゃん
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10月にもまた出産予定の牛がいて、ファームはオメデタ続きです(*^^*)

今日は1年に1度アンコールワットの中央塔の真上から朝日が昇る日。
朝から素晴らしい朝日を見ながらの通勤で気分も上々♪
ステキな1日の予感。。。。。。

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って思っていたら、いきなり蜂に刺された。。。。。笑

頭に蜂がのっているのに全く気付かずに、髪をかき上げようとしたらものすごい衝撃!!痛い!!
ビリビリってくるような痛みで最初は何が起きたかわからなかったけれど、指を見たら赤い斑点がポチッと。蜂に刺された。。。。

すぐに洗い流したはいいけれどそれ以上の対処がわからず、スタッフに蜂に刺されたことを伝えたら。

『トゥック クモムもってこい〜』って。トゥックはカンボジア語で水、クモムは蜂。トゥック・クモムでハチミツ。
蜂に刺されてなぜハチミツ??と思っていたらハチミツをたっぷり患部に塗られてべとべとに。。

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ハチミツの香りにさらに蜂が集まってくるのではないかと内心ドキドキ。でも他に対処方法もわからないしただただ皆に身をまかせるのみ。


しばらくしたら、今度はまな板とニンニクがやってきた。
ニンニクの汁をだすようにたたいてから、患部にぺったり。
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にんにく臭たっぷり漂わせて完成したのがこちら。

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そのあと用事があってスタッフと車でバンテアイミンチェイまで。長距離ドライブの車の中、かなりのにんにく臭でみんなきつかっただろうなぁ。。。。
車の中で、蜂に関するカンボジア小話でみんな大笑い。

ある外国人が森の中に入っていこうとしたところ、そこにいたカンボジア人がここは『クモム ティェッ』だと言ったのにその外国人は森へ入っていった。
そしたら大量の蜂に刺されて外国人が森から出てきて、『クモム ティェッ(蜂は少ない)』って言ったじゃないか〜!!こんなに刺されたぞ〜と文句を言ったら、カンボジア人たちが、だから『クモム ティェッ(蜂に刺されるよ)』って言ったじゃないか。。。

『少ない』と『(蜂に)さされる』はどちらも発音がすごく似ていて『ティェッ』。もちろんカンボジア人にはその違いが当然聞き分けられるけど、私には同じ発音にしか聞こえない。カンボジア小話になるくらいカンボジア人的にも発音が似ている言葉。
実際に蜂に刺されてとか、実体験で覚えた言葉はぜったい忘れないだろうな。


数時間にんにく臭を漂わせていた結果、夜包帯を取ったらかなり腫れがひいていた。
さすが先人の知恵。
郷に入ったら郷に従え。はちみつもにんにくも役に立つんだな。



今年もカンボジアのお盆の季節がやってきました。
お盆について書こうと思ったけれど、去年も書いたので今年は割愛。

プチュンバン2015

今年も去年と同じように、AngkorSvayChekファームとして、お寺に寄進して、「カングバン」のセレモニーの3日目をやらせていただきました。
私は日本人であるけれど、カンボジア人ではないけれど、こういったカンボジアの伝統行事を大切にして、ここの住民として地域社会と共に生きていきたいなと思います。

今年も午後3時からスタートといわれ、カンボジア時間を想定してちょっと遅めの3時半に行ったけれど、やっぱり儀式がスタートしたのは5時。そして20分で終わる。
去年のブログを読み返すと、まったく同じことが起こっていて笑える。
まぁ、変わらないことって幸せなのかもしれない。


5時まで暇なので全く去年と同じ行動をとる。
まずは本堂でお参り。大切な人の健康と幸せをただただ祈る。

本堂


それから去年と同様にお寺のまわりの散策。ほかにやることはない(笑)
今年もたくさんのボディーガードたちがついてきてくれた。ありがとう^^
my bodyguard

そして去年と同様おかゆを食べる。
おかゆ

そして去年と同様2時間遅れの儀式が5時にスタート。
(この2時間を遅れと感じることがまだまだ地域にとけこんでいないのかもしれない。この2時間をゆったりのんびり過ごせるようになったらホンモノかな。そうなりたいかどうかは別として 笑)
儀式2

お坊さんにお経をあげてもらって蓮の花を頭からかけてもらって終了。途中、発電機が故障して真っ暗になるも(まだこの村には電気がない。私たちのファームももちろんまだ電気が通っていない)、ロウソクの灯をともして幻想的な雰囲気に。

そして儀式は翌日につづき、朝は7時からノンバンチョ(カンボジアのヌードル)をみんなで食べる。
うちのファームの男性陣は食べる食べる食べる。。。。
ノンバンチョ食べるノムバンチョソムロークマエ


とにもかくにも今年もみんなでお盆を迎えられてお寺にお参りできてよかった。
変わらない場所、変わらない人たちがいるって幸せなことだなって思う。


最近の私の生活。
クッキー屋さんには週2回ほど出勤するくらいで、ほかの日は毎日シェムリアップから30分の距離にあるSvayChek村のファームに通って農作業をしています。
ファームに住み着いているっていう噂を聞いたけれど、実際はシェムリアップ市内に住んでいて毎日30分かけてファームに通勤しています。
ファームは朝6時45分くらいに朝礼がはじまるので、ファームへ行くときはいつも朝4時起き。
朝日よりも早く目覚めて朝日と共に出勤。朝のすがすがしい空気に触れるのは何物にも代えがたい幸せ。

先日クッキーの工房に行ったときに、みんながファームに遊びに行きたい!というので、お盆にも入るしみんなでお盆の飲み会(お盆はただの口実・・・)でもしようかということになって、じゃぁ、土曜日のお昼くらいに来ればファームのメンバーもひと仕事終われるので、みんなで一緒にバーベキューでもしようということになりました。

宴会の準備は彼らのお手の物なので、私はスポンサーに徹してすべておまかせ。
当日は9時くらいにファームに来てバーベキューの準備しますっていうことだったので、私は通常通り朝からファームに出勤して畑仕事をしていたら、8時くらいに工房マネージャーのラタナが畑にやってきた。
しかも入口からではなくて、なんだか裏のほうから登場。
「おねえさん、ちょっとパウおじさんの家まで来てください〜」って。
いい調子で草刈りをしていたけれど、作業をストップして、呼ばれたところへ自転車で向かうとバナナ畑の真ん中でスタッフみんなが待ち構えていた。

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うちのファームは40ヘクタールあるので、ファームに誰が入ってきたかは全部見渡すことはできないので、みんなが裏口から入ってきことに私はまったく気づいていませんでした。

託児所の子供たちもいてみんなきゃっきゃキャッキャ楽しそう。
最近のファーム生活は、女子はひとりもいなくて男性スタッフばっかりなので、このきらびやかな、きゃっきゃとした雰囲気がすごくなつかしくて見ているこっちまでキャッキャしたくなった。

「いつもお世話になっているお姉さんにちいさなプレゼントがあります!!」とラタナが音頭を取る。
このカンボジア語の言い回し、小さなパーティーとかちいさなプレゼントとか・・・ちいさなっていう響きがわたしはなんだかたまらなく好き。

ずらっと畑の前に並んでいたみんなが脇によけると、みんなの後ろから小さなプレゼントがリボンをつけて登場!!!

牛!

ぜんぜん小さくない・・・・・・笑
しかも頭にリボンって・・・・・・・笑 牛さん、ごくろうさまです。

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「お姉さんが今一番ほしいものだと思いました!」
「名前は、『こうぼう(工房)』です!」 どっかーん、みんな大爆笑。
工房のスタッフたちからの贈り物だからこうぼうちゃんね。

すっごく品があってきれいな牛。
ファームにはすでに5匹の牛がいるけれど、美しさが格別。
今までいたほかの牛もちらちら『こうぼう』ちゃんを気にしてる。恋したかな(笑)


動物は小さい時から何でも好きで、ファームでもたくさん犬を飼っているけれど、牛をプレゼントされるのも初めてだし、飼うのもはじめて。ドキドキのプレゼント。

私のためにみんなが一生懸命考えてくれたこと、私が何を喜ぶだろうかって一生けんめい考えてくれた気持ちが何よりも何よりも私の宝物になりました。本当にありがとう。

44歳、たくさんの人たちにお祝いしてもらって幸せなスタートになりました。

20代よりも30代はものすごく充実していててエネルギッシュに生きられた10年だった。
まだ40代に入ったばかりだけれど、やっぱり30代より今のほうが楽しいって心から言える。

年を重ねていくと、本当に自分が大切なものが何かが明確になってきて、必要のないものもはっきりしてきて、人生の時間をより有意義に自分にとって大切なものにフォーカスして使える気がする。
なんだかわからなくて、何がやりたいのか進む道もわからなくて、がむしゃらにむやみやたらにむさぼっていた20代から20年たって、シンプルに生きるっていう意味が分かってきたり、自分のために生きればいいんだってこともわかってきた。
自分がどうやって生きたいのか、誰と共に生きたいのか、限られた人生で何を成し遂げたいのか、それがすごくシンプルに答えがだせるようになってきて、生きることの楽しさと毎日の楽しさをより深く感じられるようになった40代。
次の50代にさらにわくわくするけれど、まだまだあと6年の40代をゆっくりと楽しもうと思う。










いま農業やってるんですよね、なんで農業なんですか?って最近よく聞かれるのですが、
農業をやっているといえば農業をやっているんですが、農業をやることがめざすところではなく、農業からはじまる産業なんですが、伝えるのがうまくないので自分自身の考えをまとめるためにもそろそろ文章として残しておこうと思う。

私たちのファームのユニフォーム
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農業ってひとことで言ってもいろんな形の農業があるんですよね。
私も農業をやっている方から教えてもらったのですが、専業農家と兼業農家でもスタイルが違うし
アメリカとかの大平原で大規模プランテーションをやっているのも農業だし、カンボジアの個人農家さんも農業を営んでいる。家庭菜園も農業といえば農業なのかな。

そんな感じで農業の形は様々であり、ひとくちで農業っていってもいろいろな形態があるわけだけれど、私がやりたいのは野菜やお米を作って販売するという農業ではなくて、農業をもうかる産業にして自分の住む地域社会であるシェムリアップの農村の暮らしを農業で豊かにする社会のしくみをつくること。そんな感じかな。

アンコールクッキーというお土産物屋の経営者として13年間シェムリアップで会社を経営をしてきました。13年前に創業した当時、シェムリアップはまだまだ首都から遠く離れた田舎町といったのーんびりしたところで、資材や原材料の調達にはまったく適していない町でした。クッキー工房をはじめるにあたり、プノンペンやバンコクを行ったり来たりして必要なものを調達したり、パッケージを作ってもらえる印刷屋さんを見つけるためにプノンペンの町をバイクタクシーで走り回ったり、そんな時にバイタクでプノンペンの路上でひったくりにあってバイクから落ちて怪我したり、パスポートもなけなしの資材の調達金1000ドルも盗まれたり。。。思い返せばいろいろあって、そんないろいろがあるたびに有難いことに?強くなって今に至るって感じだなぁ。。。。(ちょっと物思いにふける・・・・話が脱線してる・・・・)

そういうシェムリアップに来たばかりのころは日本人も手で、指で?数えるくらいしか住んでなくて、レストランというものはホテルの中のレストランくらいしかなくて、2000年に今のパブストリートの角にあるレッドピアノができたときには、朝ごはんに、クイティウ(ヌードル)やバイサッチュルーク(豚ゴハン)じゃなくて、パンとオムレツが食べられてしかもふつうのコーヒーも飲める!って画期的で喜んで通ったものでした。バイサッチュルークもクイティウも十分おいしくて満足してたんですが、人間というのはそれで充分幸せを感じられるのに、もっともっとになってしまう煩悩の塊なのだとつくづく思う。(また話が脱線・・・)

日本語学校で働いている2000年の頃に、カンボジアに必要なのはボランティアではなく、働く場所だ!!と20代の勢いしかない若者であった私は思い立ち、女性が働く場所を作ろう、支援とか助けてあげるとかではなく、働くことによって自尊心を持ち、自分の足で立ち、社会に役に立っているんだと働く人たちが思える、そんな会社を作ろうと思ったのがアンコールクッキーをはじめたきっかけ。

2003年からクッキーの試作をしたり、パッケージを作ったり、起業の準備をはじめ、2004年に会社を設立して、田舎からの女性を雇用してクッキーづくりを教えて・・・・・・そんなことをしていたらあっという間に12年がたった感じ。12年の中でカンボジアを取り巻く環境は激変し、仕事がない!なんて言っていた町にはレストランやホテルが乱立してるし、カンボジア各地に縫製工場ができたりして企業のほうがワーカーさんの確保に奔走している状況になった。
そんななかで、私がやろうとしてきた女性の雇用というのはもう満たされているのかな、十分働く場所がある社会になってきたのだなぁと感じるようになって、正直自分のモチベーションをどこへもっていけばいいのかがわからなくなっていた時期があった。

私は社会起業家という肩書でよく語られることがあるけれど、私自身は社会起業家と名乗ったことはない。企業というのは社会のために役に立つことを生み出し、社会に貢献するために存在するものだと思っているから。
社会起業家というカテゴリーを作ることが私自身はあまり腑に落ちないから。
多くの起業家の人たちは、このサービスがあったらこんな人たちの暮らしを豊かにできるんじゃないか、とか、こんな製品があったらこんなことに困っている人たちの助けになるんじゃないか?とか、そんな思いがあるんだと思ってる。

私は12年の会社経験の中で苦しいことがあったときに自分を律して前を向いて進んでこられたのは自分の信念があったからこそだと思っている。なんでこんな思いまでしてやっているんだろうとか、ベッドからでたくない、会社へ行くのが怖いと思った日にも、それでも自分自身を奮い起こして立ち上がれたのは、自分自身の信念に立ち返ることができたからだと思う。
なぜ私はこれをやっているのかって自分自身に問いかけたときに、自分が掲げている信念に立ち返ればやるしかないって思えた。だから事業には経営者の信念が何より必要だと思っている。
なんのためにやるのか。雇用を増やして自分自身の足で立てる女性たちがひとりでも増えること、働くことで社会に関わり、社会の中で役立てるという喜びを感じることは人生をより豊かにすると私は信じている。

そんな思いで作り、続けてきた会社とそこで働いてくれている仲間たちは私にとっては子供同然で何よりも大切なもので、宝物。
そんな宝物の経営をほかの人に託したのはいくつかの理由があるけれど、一番大きいのは、私一人で経営していると私の器以上に会社が成長しないということを痛感したから。
100人希望になった会社をこれからも維持存続発展させていくために、自分自身の能力の限界を感じたというのが一番大きい理由。私一人ではこの会社がここまでで終わってしまうという危機感を数年前から抱き始め、新しい経営陣を入れて新体制を作ろうと決意して2014年から動き出し、今年の6月に新体制が動き出すことができました。


で、なんで農業をはじめたのかっていう話に全然進まないんですが、うちのファームには電気がなくてパソコンのバッテリーが危うくなってきたのでパート1として次に続けます。














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