夏休み、春休みシーズンになると学生さんの訪問が多くなります。
2015
講演を頼まれることもあるのですが、講演っていう、一方的に講義みたいに話すのは苦手です。学生時代に授業をサボってばかりいたのも講義が苦手だったからかもしれないと最近になって思います。
振り返ってみると高校時代も大学時代も本当によくサボってた。今、人の講演とかを聞きに行くのに興味がないのも繋がってるのかもしれない。
講演とかじゃなく、対談形式だったり、みんなと車座になってざっくばらんに色々お話しできるのなら、喜んで引き受けるし日本の若い人たちとお話しするのはこちらにとっても刺激になる。それに何よりみんな輝くものを持っていて柔軟な感覚を持っていてとても素敵。
でもそういう場をアレンジする大人が講演っていう形式が好きというか安心なんだろうなぁ。

最近は大学生だけではなく高校生も多く海外へ出る人が増えていますね。
私が高校生の時は群馬の田舎ののんびりした学校で、海外へ出るなんていう友人も周りにおらず、高校時代に海外へ行くなんて考えてみたこともなかった。それはそれで楽しい高校生活だった。
私の姪っ子は現在同じく群馬の現役高校生ですがアメリカへ短期ホームステイに行ったり、ホームステイの学生を受け入れたりといわゆるグローバルな高校生生活を楽しんでいるようです。

文科省のスーパーグローバルハイスクールやスーパーグローバル大学という取り組みが始まって、学校としてグローバル化に取り組んでいるところも増えているようですが、じゃぁグローバルってなによ?っていつも不思議に思っています。文科省の目指すグローバルな人材って?先生方が言っているグローバルな感覚を持つ人材って?

海外で暮らして働いている私は、日本にいる人から見ると「グローバル」な人であり、「グローバル」な生き方をしているらしい。
ただ当の本人は大学時代にグローバルな生き方をしたい!!と思ったから海外へ出たわけではなく、ただただ中国の喧騒とパワーに心惹かれてアジアに行ってみたいって思って海外へ出てきたんだよね。

自分の興味関心がそこにあったっていうだけで、アジアのリーダになろうとか海外で活躍する人間になろうなんてこれっぽっちも思っていなくて、面白そうだから行ってみたいというただそれだけ。

グローバルな人材ってどんな人なんですか?とある日本の大人に質問したところ、
「途上国の貧しい人たちに関心を持ち、自分のことばかり考えるのではなくて海外で困っている貧しい人を助けてあげるやさしい気持ちを持ち、アジアの国と助け合って生きていける人」と言われたことがある。

カンボジアを貧しい途上国のかわいそうな人たちって考えていること自体、グローバルな感覚持ってないんじゃないって思ってしまう。
言葉遊びかもしれないけれど、発展途上国って発展している途上にあってぐんぐん成長している、上昇中なんですよね、一方で先進国って言われている国ってこれ以上の上昇がなくって停滞だったり下降線に入っていたりして、どっちがパワーがあるって上昇中のほうが断然パワフルでしょう。
自分のことばかりを考えるのがいけないっていうけれど、まずは自分ありきでしょう。
自分が何ができるのか、自己が見つめることが大事。
何ができるのかっていうよりも、何をしたいのか、何が面白いのか、何にワクワクするのか、自分の人生を自分でクリエイトできる力が大事なんじゃないの。
グローバル、世界を見ろ、世界へでろ、海外へ行ってボランティアしろって。
海外行ってボランティアしてきたらグローバルな人材なの?ずいぶん安易な考えだ。

大人がグローバルっていう定義に確固とした自信もないのに、子供に言葉だけ伝えても軽くスルーされちゃうよ。子供は大人よりもずっと感性が鋭くて素晴らしいパワーをたくさん持っているのだから。

なーんて、最近の日本のグローバル化という言葉に翻弄されている大人たちを見て思うのでした。