いま農業やってるんですよね、なんで農業なんですか?って最近よく聞かれるのですが、
農業をやっているといえば農業をやっているんですが、農業をやることがめざすところではなく、農業からはじまる産業なんですが、伝えるのがうまくないので自分自身の考えをまとめるためにもそろそろ文章として残しておこうと思う。

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農業ってひとことで言ってもいろんな形の農業があるんですよね。
私も農業をやっている方から教えてもらったのですが、専業農家と兼業農家でもスタイルが違うし
アメリカとかの大平原で大規模プランテーションをやっているのも農業だし、カンボジアの個人農家さんも農業を営んでいる。家庭菜園も農業といえば農業なのかな。

そんな感じで農業の形は様々であり、ひとくちで農業っていってもいろいろな形態があるわけだけれど、私がやりたいのは野菜やお米を作って販売するという農業ではなくて、農業をもうかる産業にして自分の住む地域社会であるシェムリアップの農村の暮らしを農業で豊かにする社会のしくみをつくること。そんな感じかな。

アンコールクッキーというお土産物屋の経営者として13年間シェムリアップで会社を経営をしてきました。13年前に創業した当時、シェムリアップはまだまだ首都から遠く離れた田舎町といったのーんびりしたところで、資材や原材料の調達にはまったく適していない町でした。クッキー工房をはじめるにあたり、プノンペンやバンコクを行ったり来たりして必要なものを調達したり、パッケージを作ってもらえる印刷屋さんを見つけるためにプノンペンの町をバイクタクシーで走り回ったり、そんな時にバイタクでプノンペンの路上でひったくりにあってバイクから落ちて怪我したり、パスポートもなけなしの資材の調達金1000ドルも盗まれたり。。。思い返せばいろいろあって、そんないろいろがあるたびに有難いことに?強くなって今に至るって感じだなぁ。。。。(ちょっと物思いにふける・・・・話が脱線してる・・・・)

そういうシェムリアップに来たばかりのころは日本人も手で、指で?数えるくらいしか住んでなくて、レストランというものはホテルの中のレストランくらいしかなくて、2000年に今のパブストリートの角にあるレッドピアノができたときには、朝ごはんに、クイティウ(ヌードル)やバイサッチュルーク(豚ゴハン)じゃなくて、パンとオムレツが食べられてしかもふつうのコーヒーも飲める!って画期的で喜んで通ったものでした。バイサッチュルークもクイティウも十分おいしくて満足してたんですが、人間というのはそれで充分幸せを感じられるのに、もっともっとになってしまう煩悩の塊なのだとつくづく思う。(また話が脱線・・・)

日本語学校で働いている2000年の頃に、カンボジアに必要なのはボランティアではなく、働く場所だ!!と20代の勢いしかない若者であった私は思い立ち、女性が働く場所を作ろう、支援とか助けてあげるとかではなく、働くことによって自尊心を持ち、自分の足で立ち、社会に役に立っているんだと働く人たちが思える、そんな会社を作ろうと思ったのがアンコールクッキーをはじめたきっかけ。

2003年からクッキーの試作をしたり、パッケージを作ったり、起業の準備をはじめ、2004年に会社を設立して、田舎からの女性を雇用してクッキーづくりを教えて・・・・・・そんなことをしていたらあっという間に12年がたった感じ。12年の中でカンボジアを取り巻く環境は激変し、仕事がない!なんて言っていた町にはレストランやホテルが乱立してるし、カンボジア各地に縫製工場ができたりして企業のほうがワーカーさんの確保に奔走している状況になった。
そんななかで、私がやろうとしてきた女性の雇用というのはもう満たされているのかな、十分働く場所がある社会になってきたのだなぁと感じるようになって、正直自分のモチベーションをどこへもっていけばいいのかがわからなくなっていた時期があった。

私は社会起業家という肩書でよく語られることがあるけれど、私自身は社会起業家と名乗ったことはない。企業というのは社会のために役に立つことを生み出し、社会に貢献するために存在するものだと思っているから。
社会起業家というカテゴリーを作ることが私自身はあまり腑に落ちないから。
多くの起業家の人たちは、このサービスがあったらこんな人たちの暮らしを豊かにできるんじゃないか、とか、こんな製品があったらこんなことに困っている人たちの助けになるんじゃないか?とか、そんな思いがあるんだと思ってる。

私は12年の会社経験の中で苦しいことがあったときに自分を律して前を向いて進んでこられたのは自分の信念があったからこそだと思っている。なんでこんな思いまでしてやっているんだろうとか、ベッドからでたくない、会社へ行くのが怖いと思った日にも、それでも自分自身を奮い起こして立ち上がれたのは、自分自身の信念に立ち返ることができたからだと思う。
なぜ私はこれをやっているのかって自分自身に問いかけたときに、自分が掲げている信念に立ち返ればやるしかないって思えた。だから事業には経営者の信念が何より必要だと思っている。
なんのためにやるのか。雇用を増やして自分自身の足で立てる女性たちがひとりでも増えること、働くことで社会に関わり、社会の中で役立てるという喜びを感じることは人生をより豊かにすると私は信じている。

そんな思いで作り、続けてきた会社とそこで働いてくれている仲間たちは私にとっては子供同然で何よりも大切なもので、宝物。
そんな宝物の経営をほかの人に託したのはいくつかの理由があるけれど、一番大きいのは、私一人で経営していると私の器以上に会社が成長しないということを痛感したから。
100人希望になった会社をこれからも維持存続発展させていくために、自分自身の能力の限界を感じたというのが一番大きい理由。私一人ではこの会社がここまでで終わってしまうという危機感を数年前から抱き始め、新しい経営陣を入れて新体制を作ろうと決意して2014年から動き出し、今年の6月に新体制が動き出すことができました。


で、なんで農業をはじめたのかっていう話に全然進まないんですが、うちのファームには電気がなくてパソコンのバッテリーが危うくなってきたのでパート1として次に続けます。